紅葉を訪ねる’10 『明治維新 ゆかりの地』
として名高い下関の城下町長府。その長府に
ある「長府庭園」と「功山寺」を訪ねました。
◆ 公共交通機関での行き方 ◆
長府庭園は下関市長府黒門東町にあります。JR山陽本線の
長府駅からサンデン交通の下関駅行バスで約8分、「長府
美術館前」で下車して徒歩3分です。下関駅からは長府方面
行きのバスで約25分です。功山寺へは「城下町長府」が最寄り
のバス停でそこから徒歩約15分です。長府庭園から功山寺
まで歩いても20分くらいです。途中に案内標識が多くあるので
それに従っていけばOKです。
長府庭園は下関市長府黒門東町にあります。JR山陽本線の
長府駅からサンデン交通の下関駅行バスで約8分、「長府
美術館前」で下車して徒歩3分です。下関駅からは長府方面
行きのバスで約25分です。功山寺へは「城下町長府」が最寄り
のバス停でそこから徒歩約15分です。長府庭園から功山寺
まで歩いても20分くらいです。途中に案内標識が多くあるので
それに従っていけばOKです。
「長府」というと幕末から明治維新にかけての歴史でよく出てくる
地名ですが、その歴史はとても古く、登場するのは今から1800年
以上も前のことだそうです。当時の仲哀天皇・神功皇后が西国
平定に際して、豊浦宮(現在の忌宮神社)に仮皇居を置かれたこと
から「古事記」や「日本書紀」などに登場するそうです。
また、平安末期の壇之浦の戦いでは、源氏は長府に陣を構え、
平家を滅亡させます。さらに戦国時代には毛利元就に追われた
大内義長が長府功山寺で自害するなど、日本の歴史の中で
たびたび登場してくる地名です。
そして、幕末には日本の夜明けのために多くの志士たちが、
この地を奔走したといわれています。特に有名なのが高杉晋作
がわずか84人からなる力士隊、遊撃隊を率いて起こした「功山寺
の挙兵」ですね。。ここから幕末の動乱が始まり、明治維新へと
つながったと言っても過言ではないと思います。
そんな功山寺は私にとって、歴史の息吹を感じられるお気に入り
の場所でこれまで何度も訪れています。特に山門や仏殿は純唐様
建築の代表的な建造物といわれており、そのモノトーンの色彩は
とにかく重厚壮大で、ここにくると、まるで時間が止まったかの
ような感覚を引き起こし、凛とした気持ちにさせられます。
今回、紅葉はまだ始まったばかりでしたが、山門にかかる色づき
初めのモミジがさらに趣き深い風情を創り出していました。
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◇訪問日:2010年 11月 14日
■ 長府・長府庭園1
■ 長府・長府庭園2
■ 長府・長府庭園3
■ 長府・長府庭園4
■ 長府・長府庭園5
■ 長府・長府庭園6
■ 長府・長府庭園7
■ 長府・長府庭園8
■ 長府・長府庭園9
■ 長府・功山寺1 総門
■ 長府・功山寺2 山門
■ 長府・功山寺3 仏殿
■ 長府・功山寺4 仏殿
■ 長府・功山寺5
■ 長府・功山寺6 山門
■ 長府・功山寺7 山門
■ 長府・毛利邸1
■ 長府・毛利邸2
■ 長府・毛利邸3
◎ 長府